余計なもの、やらなくていいもの
2021.1.20
松坂桃李主演でハロヲタの映画が上映されるらしく、普段ほっとんど映画は見ない私ですが、とりあえずあの頃の僕たち(元たぶんハロオタ)を確かめに行ってみようかと思っている今日この頃皆様いかがお過ごしでしょうか?
私、格闘技(といいますか、PRIDE→DREAM→RIZIN)が大好きなことをご存知な方はご存知なのですが、大晦日に私が崇拝する朝倉未来選手と戦った弥益・ドミネーター・聡志選手に、あつかましくも自分と重なるところがあるなと思ったので、そのお話をば。
「自分が格闘技をやることは決して美談にはならないと思っていて、自分の格闘技は正直余計なもの。やらなくていいもので、家族とか会社の人に何らかの不利益がいってしまうような事だと思っている。」
「ただ、それを理解していながらも、どうしても格闘技をやらないとやっていけない自分も同時に見つけてしまった…(略)」
これはドミネーター選手の言葉です。
ドミネーター選手は筑波の大学院卒で一流の食品会社に務めるエリート会社員。
お仕事後やお休みの日に練習をする形で、日本のトップクラスのファイターであるという凄い選手です。
同じような環境で必死のパッチでスポーツをしている方はたくさんいると思います。
私も起業するまでは、たぶんそんな一人だったんだと思います。
私はフットサルを一応自分なりに必死にやっていましたが、フットサルでご飯を食べれるだけの選手ではないので、当然普通にお仕事してました。
お仕事をして、いただいたお金は部費に消え、遠征費に消え、ジムの会費に消え、フットサルの道具代やスクール代に消え。
時間もお金も費やし、時には仕事を調整しながらやっていたので、
「これで成績を出せなかったら、ただの自己満足にしかならない」
という思いで、自分で自分の背中を押しながらやってました。
普段生きるということはいろんなアホらしいことに付き合わないといけなかったりして、なんとなく過ごしているだけだったと思うのですが、フットサルをしている時は自分が時間と脳みそ使って試行錯誤したことがどれだけ通用するかめちゃくちゃワクワクしてました。
成長することが楽しくてフットサルをしていたし、練習するのが楽しくてフットサルをしていました。
少しでもうまくなって、「一所懸命頑張ってるから凄い」という評価を、実力の評価に変えてやろうとも思ってました。
「余計なもの」
「やらなくてもいいもの」
をやっているので、必死のバッチでやらないと本当にかっこ悪いと思ってやってました。
そして、何のアテもなく起業することになり、そういう時間の使い方はできなくなるし、してはいけないと思い、そういうフットサルとの接し方からリタイアしました。
そんな感じで必死のパッチでフットサルをしてる人らを味方にも対戦相手の方々にもたくさん知っているわけです。
マイナーなフットサルという競技でもそれだけいるのですから、日本中に仕事と競技の両立の中で必死に生きてる選手がたくさんいるんだと思います。
普段会社員をしながら、大晦日の大舞台に上ったドミネーター選手の姿に勇気や希望をもらった人は私以外にもたくさんいたのではないでしょうか。
ちなみに私にとって「余計なもの」であり、「やらなくていいもの」だと思っていた、フットサルが私を生かしてくれて、私に生きていくチャンスを与えてくれました。
毎日自主トレーニングするために、フットサルのキーパー(私はキーパー)の動きを分析し、思考し、練習メニューを考えたり、うまくいったときいかなかったときの原因を考えたり、試合中にいかに冷静にいられるか、自分の感情をコントロールできるかを考えられたり、今のデザインスクールというお仕事や会社運営の源泉になっています。
社会人として余計だと思っていたものが今、自分の宝物になっています。
誰が見ているのかあまりよくわかってませんが、今これを見てくださっている20代や30代前半の方がいたら、仕事以外のこと、余計なことも必死のパッチでやってみて欲しいって思っています。
それがある年齢を超えて、自分の時間が自分だけの時間でなくなったとき、仕事で勝負しないといけない時の、その人の特長や強み、武器になることは多いんじゃないかなって思います。
それ以外にも、精神力、体力、コミュニケーション力、いろんな力になるはず。
いつか自分のためだけに時間やお金を使えない時が来ます。
今しかできなことをやれたら、それは 何よりも財産ですね。