デザイン = 考える + つくる
2022.4.29
おまっとさんです。
GなWがやってきたおかげで、とりあえずブログを更新しようと思いました。
末永くお付き合いください。
これだけ嘘にまみれた社会の隅っこで、キラキラせず、デザイナーとして就職して、一生食べていける人になれるようにとかを考えながら、スクールを運営しているわけです。
そんな感じで10年、学校運営や講師を続けて思うこともあります。
「誰にでもなれる仕事ではないのでは?」
そして
「誰にでも楽しい仕事ではないのでは?」
です。
この業界で働いてないと、そんなこと考えることもなくって当たり前ですが
「デザイン=設計」
です。
この話をやり始めると、あーだこーだと言う方々がいらっしゃいますが、そういう方々は飲み屋とかSNSで熱く語っといてもらえばいいので、あくまで私はそう思ってスクール運営しているという指針になっております。
たぶん、この業界内じゃないほとんどの方は「デザイン=装飾」的な考えで、「デザイナー」という職業を定義しているんだと思います。
では、設計とはなんじゃらほいなんですが、私は
「考えて、つくること」
って、定義します。
異議がある人は、居酒屋で気の合う仲間と語り合っといてください。
ということで、
「考える」
「つくる」
が好き、楽しい、苦にならない、得意…とかじゃないと無理なんです。
プロなので、周りの人より「考える」力があって、「つくる」力がないといけないんです。
今はなくても、それを身に付けないといけないから、身に付けようという気概が必要なのです。
私は、小中高大→会社員という中で、人の決めたルールが馬鹿らしくなってしまうという社会不適合能力の高さを発揮してきましたが、「考える」「つくる」はたぶん誰よりも好きだし、言われなくても勝手にやってました。
「つくる」力を身に付ける工程で苦しそうな生徒の方の姿。
「考える」力を身に付ける工程で苦しそうだったり、興味なさそうな生徒の方の姿。
多くの方はそこに楽しみや喜び、興味を感じ、また難しいことがあってもそれを乗り越えようと必死に頑張ってます。
でも、「つくる」と「考える」が苦痛になってしまう方をどう導けるか。
コーチの私の力不足なのか。
人間はそこまで他人の思考に影響を与えることは無理なのか。
これは私が抱える課題の一個です。
その人の姿、社会の中でのポジションは「それまでの人生の結果」だと思ってます。
「考える」のベースは、その人がこれまでに体験したこととこれまでに得た知識です。
いきなりデザインのことを「考える」を求められても、「考える」の基礎力がなかったり、そもそも「考える」が苦痛な人には無理なんじゃないだろうか、と。
「設定したゴールに向かって挫折しそうな時には、メンタルコントロールを施して軌道修正する」
のもコーチングだと思いますが、スクールで行っていることと現場を比較するとスクールは圧倒的に優しい世界です。
その優しい世界ですら苦痛になってしまうんだったら、今後10年、20年…と続けていくのも苦痛でしかないし、向いてないだろうと。
向いてない人に無理に学ばせるのも無責任なので、その方の意思に任せるという方針。
そういう中で私がスクール事業を10年続けてるのは、「考える」「つくる」ができる人は多くないがゆえ、社会で生きていく上で一つの武器になると考えています。
それはデザイナーとしても、デザイナーじゃない違うビジネスの中でも。