Blog代表のブログ

失敗させるスクール

2022.12.15

どうにかこうにかスクール業を始めて、もうすぐ丸11年。
「たぶん、あまり多くの人ができない体験」という財産がその年月分だけ貯まりました。
お金もそれぐらい貯まってたら、今頃ドバイのプールサイドからこの文章を書いているはずですが、そんなことには今のところなっていません。

スクールの運営と並行して、講師も担当しております。
ここ1年は「講師も基本ひとりで」に変えました。
そのへんに「なぜ?」と思われる方は、個人的に飲みに誘ってください。
永遠にお話続けれます。
単純に「先生って難しいから」という理由なんですが。
あ、「坂元が求める先生って難しいから」かもです。

そんな感じでデザインはあーだこーだ、ソフトの操作はこうしてああして、コーディングはこうしたらこうなってああしたらああなってをお教えするのがお仕事ですが、そこには共通して意識していることがあります。

上記のあーだこーだを聞きたい方は、個人的に飲みに誘ってくださるか、ご入学してください。

計算したことないので、自分自身どれだけのことを考えながら授業をしているのかわかりませんが、パッと出てきたのが「失敗させる」と「考えさせる」です。

マンツーマンで授業を行う。

会話ではなく「話をベースに何かを理解させていく」という、普段生きててほとんどないシチュエーションが私の日常になります。

会話なら、相手がイヤそうなら話題やテーマを変えます。

家族や仕事以外での会話の目的は「その場を楽しいものにする」だと思ってます。

でも、授業の目的は「相手の方のゴール達成のために必要なことを理解させる」なのです。

そのためにいろんな道筋を考えるのが、私のお仕事なんですが、どうしても避けれない道があります。

それが「失敗させる」ことと「考えさせる」ことです。
ということで、本日は「失敗させる」のお話を。

ハイハイが終わり、よちよち歩き出した子ども。
何度も何度もコケる。

「子どもはコケた方がいいでしょうか?コケない方がよいでしょうか?」

先日、生徒の方に出した質問です。

「コケない方がいい」

という回答をいただきましたが、私の考えは「コケた方がいい」です。

コケる→痛い(不快)→カラダがコケないバランス、動き方を考える

という、無意識の微調整を繰り返し、「コケない」感覚を掴むって考えています。

あと、おもちゃを取ろうとしてコケた場合なら「コケる(不快)の向こうにある快楽(おもちゃで遊べる)」を知ることができます。

好奇心、勇気の育成ですね。

・コケないと感覚は身に付かない
・コケてもたいした痛みではないのに、引き替えに得られるものは大きい

を伝えたい。

生きていく中で、行動する勇気、行動を呼び起こす好奇心がなければ、理論や知能の価値はゼロです。

失敗させるのが教育です。

コケさせるのが教育です。

うちのスクールでデザインを学ぶと「自然由来の本能」「社会由来の本能」について教えられます。

「失敗」というのは自然においては、転落、火事、溺死等々「死」へとつながります。
社会においては「信用を失い、集団から阻害される」という「社会的な死」へとつながります。

ホモ・サピエンスは「集団で生きていく能力に長けた種族」なので、「集団からの阻害」は「死」へとつながります。

でも、それらはあくまで「致命的な失敗」の話です。

石ころでコケるぐらいの失敗はかえって、みんなに笑みをもたらします。

その姿を見て「かわいい」って思って恋に落ちる人がいません(坂元はそういうのに弱いです)。

失敗に対する「恐怖心」が、結果的にホモ・サピエンスの異常な人口の増大につながっているとは思いますが、過度の恐怖心は「新たなチャレンジ」への邪魔にしかなりません。

失敗しない日々はただただ難がないだけで無難な日々でしかないのです。

マンツーマンなんですから、見てるのは私だけです。

いくらでも失敗したらいいのです。

私にしたら日常的な光景です。

失敗すらできない人(受講しなくなる人)もいます。

そもそも先生の私は失敗とも思ってなく、単なる成長への「課程」って捉えています。

「失敗」という「成功」するために必要な財産を一つ得たということで、大きな大きな成長なのです。

次に、失敗を許さない社会の空気感という問題。

失敗して怒られる。

家庭、学校、部活、会社。

そういう経験が「失敗しないことが生きるために最も大切なこと」と脳に思い込ませているのかもしれません。

「かむ」
「さむい」
「空気を読まない」
「オチは?」

私は「ダウンタウンが生んだ文化の弊害」って思ってますが、一般人が一般人にツッコむ時代になってしまいました。
テレビで見るボクシングや格闘技を素人がマネしたら危険なのは普通わかるんですが、テレビで見る批判的コミュニケーションという芸事の危険さを理解するのは難しく「誰かの失敗に対してツッコむのが面白さ」という世の中になっている影響も大きいように感じます。
(ダウンタウン文化論についてお聞きしたい方は、個人的に飲みに誘ってください。)

失敗なしで成長するのは無理ゲーです。

大人になってから、趣味も仕事もチャレンジする度に

「お前なんかにできるわけがない」

と言われ続けてきました。

途中から「あなたなら無理なんでしょうね」って、適当に聞き流せるようにはなりました。

あとあと、できるようになったら

「お前はできるやつやと思ってた」

って言われます。

別にそれらの言葉には悪気はないんです。

ただただ、責任ゼロの無価値な言葉というだけです。

じゃ、成長したり、何かをできるようになるためにはどうすればいいか?といえば、失敗して、反省して、分析して、次に活かしていくことをひたすら繰り返すことだけですね。

センスやら知能なんて自分自身あるんかないんかわからないんですが、失敗を屁とも思わないメンタリティだけは持ち合わせているんかな、とか。

しょうもない常識をふりかざしながら、現状の自分で生きていくのか。

無数の失敗を糧にパワーアップして、常に成長し続ける自分で生きていくのか。

どちらもあなたの人生、お好きにどうぞが私の考えです。

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画像:ブログの著者:坂元剛

このブログについて

代表の脳内を大公開。思ったことを思ったまんまに書き殴るタイプのブログです。子どもの頃から基本的にフザケてたら、社長になってたり、40越えてたり、パパになってたりしてた人間の駄文です。

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