Blog代表のブログ

11歳

2023.02.28

2012年2月29日開業な弊事務所。

ということで、今日か明日で丸11年。

今日か明日かどっちかわからないですけど。

悔しいから、2月29日がやってくる来年までは息絶えることはできません。

頑張れ、私。

そんな感じで11年を振り返ると、あっという間なのですが全ての経験が財産のような気がします。

それを生かすも生かさないも自分次第。

たくさん勉強したから、それを生かさねば。

たぶん、イヤなこともあったんでしょうけど、そういう繊細さは持ち合わせてないのか、楽しかった11年として脳みそに保存されてます。

35歳で起業して、46歳ですが意外にそんなに46歳でもない。

もっとダンディで老眼や持病に苦しむ図をイメージしてましたが、その気配もなく。

この1年、日曜日が休みになったのでスポーツをする日が多いですが、46歳にしては意外に動く。

脳もたぶん動いてるはず。

ここ1年ぐらいは

「自分がやりたいこと」
「自分にできること」
「自分がやらないといけないこと」

をずっと考えてきて、いろんな人にお話聞いてもらいながら、今はそれらの準備中です。

私も私の周りも楽しくなってきました。

スクールに1,000人近く入学していただく未来は全く予想できませんでしたが、デザイナーを目指す方と共に歩んだ11年。

次のステップは対デザイン業界の外側。

「お前にできるわけない」にあがき続けるマイ人生。

あがきのプロフェッショナルとしていざゆかん。

2023.01.26

気づけば2023年になっていました。
起業して、もうすぐ丸11年。

11年もあれば社会も変化します。

そして、会社や仕事もそれに合わせて変えていかないといけないんだなとは思います。

「デザインのことなら何でもやります」

という謙虚過ぎるスタンスで起業し、マンツーマンやらプロが教えるやらに需要があったのか、スクール事業で手一杯に。

11年後の今の時代、場所や時間に縛られずに勉強できる時代になり、昔ほどの需要はないのかもしれません。

他校に入って求めてた結果に到達できずに苦しんでる人が大量生産されてるのが業界的には問題になっていますが、そんなことを入学される方は知る由もないのです。

11年間デザインのスクール運営や講師業に割いた時間はたぶん日本ランキング1位か、世界ランキング1位なんじゃないのかなって思ってます。

確かめる術はないのですが、そこから得た体験であったり、ずっと考えてきた時間は財産なんだと思います。

なので、

「デザインに興味あり!」
「広告デザインを見るのを好き!」
「すでにデザイナーだけど、もっと上達したい!」

な方々に向けてのスクールは継続していきます。

でも、他に「やってみたいな」と思ってたこともいくつかあるし、それらにもチャレンジしていきます。

何をするかは随時お伝えということで。

1人でやってることが多いので、そこは1個ずつ。

普段生活してて、世の中の不便、もったいない、不足を感じることが多々あります。

その中で私が埋めれる穴があるんじゃないかって思ってます。

12年前よりかは、自分のことを見えるようになった気はします。

自己分析して、他者の分析して、社会を分析して、人の行動心理を分析して、デザインを分析してな11年間。

両親のおかげか、学生時代の部活のおかげか、ムダに元気なんですが、今の勢いでお仕事できるのは、あと10年ぐらいだと思ってます。

一応父親もやっているのですが、3つの指針。

・困っている人の力になりなさい
・人を笑顔にしなさい
・何事も楽しみなさい

結局、自分の決め事を我が子に押しつけてるだけですね。

社会の穴と、自分の指針とを照らし合わせながら生きていきまーす。

どうにかこうにかスクール業を始めて、もうすぐ丸11年。
「たぶん、あまり多くの人ができない体験」という財産がその年月分だけ貯まりました。
お金もそれぐらい貯まってたら、今頃ドバイのプールサイドからこの文章を書いているはずですが、そんなことには今のところなっていません。

スクールの運営と並行して、講師も担当しております。
ここ1年は「講師も基本ひとりで」に変えました。
そのへんに「なぜ?」と思われる方は、個人的に飲みに誘ってください。
永遠にお話続けれます。
単純に「先生って難しいから」という理由なんですが。
あ、「坂元が求める先生って難しいから」かもです。

そんな感じでデザインはあーだこーだ、ソフトの操作はこうしてああして、コーディングはこうしたらこうなってああしたらああなってをお教えするのがお仕事ですが、そこには共通して意識していることがあります。

上記のあーだこーだを聞きたい方は、個人的に飲みに誘ってくださるか、ご入学してください。

計算したことないので、自分自身どれだけのことを考えながら授業をしているのかわかりませんが、パッと出てきたのが「失敗させる」と「考えさせる」です。

マンツーマンで授業を行う。

会話ではなく「話をベースに何かを理解させていく」という、普段生きててほとんどないシチュエーションが私の日常になります。

会話なら、相手がイヤそうなら話題やテーマを変えます。

家族や仕事以外での会話の目的は「その場を楽しいものにする」だと思ってます。

でも、授業の目的は「相手の方のゴール達成のために必要なことを理解させる」なのです。

そのためにいろんな道筋を考えるのが、私のお仕事なんですが、どうしても避けれない道があります。

それが「失敗させる」ことと「考えさせる」ことです。
ということで、本日は「失敗させる」のお話を。

ハイハイが終わり、よちよち歩き出した子ども。
何度も何度もコケる。

「子どもはコケた方がいいでしょうか?コケない方がよいでしょうか?」

先日、生徒の方に出した質問です。

「コケない方がいい」

という回答をいただきましたが、私の考えは「コケた方がいい」です。

コケる→痛い(不快)→カラダがコケないバランス、動き方を考える

という、無意識の微調整を繰り返し、「コケない」感覚を掴むって考えています。

あと、おもちゃを取ろうとしてコケた場合なら「コケる(不快)の向こうにある快楽(おもちゃで遊べる)」を知ることができます。

好奇心、勇気の育成ですね。

・コケないと感覚は身に付かない
・コケてもたいした痛みではないのに、引き替えに得られるものは大きい

を伝えたい。

生きていく中で、行動する勇気、行動を呼び起こす好奇心がなければ、理論や知能の価値はゼロです。

失敗させるのが教育です。

コケさせるのが教育です。

うちのスクールでデザインを学ぶと「自然由来の本能」「社会由来の本能」について教えられます。

「失敗」というのは自然においては、転落、火事、溺死等々「死」へとつながります。
社会においては「信用を失い、集団から阻害される」という「社会的な死」へとつながります。

ホモ・サピエンスは「集団で生きていく能力に長けた種族」なので、「集団からの阻害」は「死」へとつながります。

でも、それらはあくまで「致命的な失敗」の話です。

石ころでコケるぐらいの失敗はかえって、みんなに笑みをもたらします。

その姿を見て「かわいい」って思って恋に落ちる人がいません(坂元はそういうのに弱いです)。

失敗に対する「恐怖心」が、結果的にホモ・サピエンスの異常な人口の増大につながっているとは思いますが、過度の恐怖心は「新たなチャレンジ」への邪魔にしかなりません。

失敗しない日々はただただ難がないだけで無難な日々でしかないのです。

マンツーマンなんですから、見てるのは私だけです。

いくらでも失敗したらいいのです。

私にしたら日常的な光景です。

失敗すらできない人(受講しなくなる人)もいます。

そもそも先生の私は失敗とも思ってなく、単なる成長への「課程」って捉えています。

「失敗」という「成功」するために必要な財産を一つ得たということで、大きな大きな成長なのです。

次に、失敗を許さない社会の空気感という問題。

失敗して怒られる。

家庭、学校、部活、会社。

そういう経験が「失敗しないことが生きるために最も大切なこと」と脳に思い込ませているのかもしれません。

「かむ」
「さむい」
「空気を読まない」
「オチは?」

私は「ダウンタウンが生んだ文化の弊害」って思ってますが、一般人が一般人にツッコむ時代になってしまいました。
テレビで見るボクシングや格闘技を素人がマネしたら危険なのは普通わかるんですが、テレビで見る批判的コミュニケーションという芸事の危険さを理解するのは難しく「誰かの失敗に対してツッコむのが面白さ」という世の中になっている影響も大きいように感じます。
(ダウンタウン文化論についてお聞きしたい方は、個人的に飲みに誘ってください。)

失敗なしで成長するのは無理ゲーです。

大人になってから、趣味も仕事もチャレンジする度に

「お前なんかにできるわけがない」

と言われ続けてきました。

途中から「あなたなら無理なんでしょうね」って、適当に聞き流せるようにはなりました。

あとあと、できるようになったら

「お前はできるやつやと思ってた」

って言われます。

別にそれらの言葉には悪気はないんです。

ただただ、責任ゼロの無価値な言葉というだけです。

じゃ、成長したり、何かをできるようになるためにはどうすればいいか?といえば、失敗して、反省して、分析して、次に活かしていくことをひたすら繰り返すことだけですね。

センスやら知能なんて自分自身あるんかないんかわからないんですが、失敗を屁とも思わないメンタリティだけは持ち合わせているんかな、とか。

しょうもない常識をふりかざしながら、現状の自分で生きていくのか。

無数の失敗を糧にパワーアップして、常に成長し続ける自分で生きていくのか。

どちらもあなたの人生、お好きにどうぞが私の考えです。

noteを見ろ。

ということで、noteで言いたいこと書いてますので、ご興味のある方はそちらを〜。

人生にゆとりができたら、こちらも再び書いていきますよー!!

noteへ

おりこうさん

2022.08.08

我が家にはひとりっ子のプリティボーイがいるわけですが、誰に似たのか、なかなか親の言うことを聞いてくれません。

家庭では「優しい方担当」の私も

「何しとんねん!」
「はよせーや!」
「言うこと聞きやー!」

など、厳しい言葉を連呼する時があります。

滅多に本気で怒らないのわかってるから、完全にナメられてますが…。

さておき、自分で言ってて、自分で違和感感じていることがあります。

彼が「親の言うことを素直に聞かないことは、本当はいいことではないのだろうか?」と。

歯磨きしぃやぁ → 怪獣ごっこしてるからイヤだ
お風呂入るでぇ → 今YouTube見てるねん
宿題やりやぁ → 明日する学童でするねん

単なるその場しのぎの屁理屈なだけのような気もしますが、「今はそれより優先してやりたいことがある」というのは本心です。

そこで適度な理由を見つけて、伝えたり、交渉したりする能力がまだないのです。

自分の意志に従って行動してるんだから、それは自立してるということであるわけで。

歯を磨く、お風呂に入る、宿題をやる、それらが遅くなって実際に苦しんだら、彼の中で優先順位のバランスが変わっていくのでしょうし。

何でもかんでも親の言う通りにおりこうさんにやる子だと

「親の言う通りにやってたら親は喜ぶ」
「誰かの言う通りにやると物事はうまくいく」

大学までは優秀に過ごせそうですが、働き始めた瞬間に詰んでしまうのかも。

社内業務をシステム化していて、ほとんどの従業員に求められることが「言われたことを言われた通りにする」でなければ。

一世代前までは、そんな感じの方にも仕事の椅子が用意され、一生困らずに暮らしていけたのかもしれませんが、今後は「言われた通りにやるだけ」だったら、AIやアンドロイド、途上国からの安い人件費に取って奪われるのでは。

まだまだ6歳で屁理屈レベルを脱しないですが、自分の意志を泣き叫びながら主張する彼の姿は、実は将来性有望なのではないだろうか、と。

とある本によると

「我慢する力とコミュニケーション力は10歳以後に身に付く人間的な脳の部分」

らしいので、今は「やりたいことをやる」という好奇心の部分を優先させた方がいいのだろうとは思っています。

うるさくてめんどくさいですが。

幼少期からいまだに親から「お前は屁理屈ばっかや」と言われ続ける誰かを思い出させます。

デザイナーへの就職というものに重きをおいたスクールを運営する中で、

「デザイナーとしての知識・技術・経験がない」

ことが本質的な問題じゃなくて

「指示や見本がないと行動できない」

ことが本質的な問題な方は多いです。

そこの部分もサポートできるように試行錯誤しておりますが、どこまでその辺りにアプローチできるのか。

もしくはできないのか。

子どものうちに養うべき能力や資質というものはあります。

私はデザイナーという職業が「誰にとっても最高の仕事」とは思ってませんし、相性は結構あると思います。

無理してまでやるものでもないとは思っています。

「どうしたら、この問題は解決できるんやろ?」

「こうしてみたらどうやろ?」

「自分だったら、こうしてみるけどな〜」

と考えたり、実際に行動できる人がやるべきお仕事だとは思ってます。

とりあえず、屁理屈ボーイは将来どうなることやら…。

Webデザイナーやグラフィックデザイナーより、社会に足りないもの。
それがゴールキーパー。

ということで、46歳にしてアイスホッケーとフットサルのゴールキーパー経験しかない私に11人制サッカーのゴールキーパーの依頼が来ました。

グラフィックデザイナーにコンビニのコーヒーマシーンのデザインを依頼する。
グラフィックデザイナーに回転寿司屋の内装のデザインを依頼する。

社会では「専門家じゃなくてもできそう」で任せて大ケガしてる例が多々ありますが、今回「専門家じゃないからヤダ」と言えない理由がよくわかりました。

大ケガさせちゃったグラフィックデザイナーさん、絶対いい人のはずです!!
たぶん!!

ということで、46歳にして週休1日制、老体に鞭を打ち続け、パパ活もライフワークバランスもガン無視して月1、2回ぐらい参加するサッカーを通じて得た気づきを!!
(ちなみに試合では案の定ボコスカ失点してます…)
 
 
 
●大人の「仕事以外の場所」

ほぼ40〜50歳代ですが、チーム全員で60人以上在籍しているらしく、チーム内にいくつかのチームがあるという形みたいです。

年齢的に子育てが一段落したり、仕事以外の時間が発生するのでしょうか。

いざそうなった時に仕事以外の居場所がない。

そこで同じ趣味を持った者が集まる場所というものに価値があるのかなとか考えさせらました。

これは「趣味」でもいいし「勉強」でもいい。

気分転換や運送不足解消でもいいし、自己研鑽や娯楽でもいい。

お小遣い程度で「仕事以外の時間を活用する場所」に価値がある時代。

そんなことを考えながら、今やってるスクールとは違う形での価値の提供ができるのでは?と考えたりしています。

乞う適当にご期待。
 
 
 
●「組織論」は社会に浸透していない?

たった1人で仕事を回している人はほぼいないと思いますし、誰かとの関係性の中で生じるものだと思います。

特に年代的に、人を管理する業の割合が高くなると思います。

いかに人を有効的に活用し、ゴールに向かうか。

そこは同僚や部下の能力とメンタルの把握が必要になります。

そして、いかにモチベーションを上げるか、下げないかも仕事です。

ミスを声掛けや準備を以て未然に防ぎ、万が一ミスした時を想定してサポートする。

周りが仕事をしやすいようにサポートする。

そういうことがお仕事になってきます。

「勝利を求める」がミッションなので、より普段の仕事と同等のメンタリティや行動が求められるはず。

11人以上が集まるわけですから、能力も経験モチベーションも個人差があって然るべきです。

また、私だけじゃなく新しく入団した方も多く、お互いが何をしたいのか、チームとして何をするべきなのか決まってない状態で戸惑いながら、確かめながらプレイしているのが現状だと思います。

そこを円滑に一つにまとめ上げるのが、マネージメントであり、そのためのコミュニケーション(言動・行動)じゃないでしょうか。

「普段の仕事じゃない自分を出して、童心に返ろう」なら、そうなってしまうのかな。

そんなことを思いながら、時に「うーん…」と思いながら、一番後ろから見守るのでした。
(暑さとこむら返りそうなふくらはぎと戦いながら。たまにハチとの戦いも)
 
 
 
●運動をすると脳が軽快になる

運動=疲れる。

特に先週・今週と真夏の熱光線を浴びながらのプレイだったわけです。

「屋内でできる仕事」として、この業界を選んだ私にとって、紫外線は憎き敵でしかありません。
(授業ではよく紫外線の話はしますが…)

昨年途中から日曜が休日になり、サッカーやらフットサルやらのお誘いにも参加できるようになり、カラダを動かす機会も増えたので、疲労回復も早くなってきました。

昨日試合だった今日も体中打ったり、擦ったところは痛いですが、全身的には軽いです。

そして、脳みその中もスッキリしてます。

普段から疲れてるのか疲れてないのか自分ではよくわかってないのですが、週6で1日12時間以上働く日々なので、たぶん本当は疲れているのだと思います。

が、今日も先週の試合後も翌日の脳みそはスッキリです。

脳から何とかロンみたいなんが運動すると出るのかもしれません。

これは仕事に好影響を与えそう。

人がやってる野球や格闘技を見るよりかは、自分がカラダ動かしている方が下手くそでも心地よく、健全なのかもしれません。

また、普段先生や社長をどこかでは演じていたり、相手のことを気遣いながら行動や発言しているんだと思うのですが、そういうリミッターを解除して、がむしゃらになれるところも、何かを発散しているのかもしれません。
 
 
 
●まとめ

そんな感じで、「お願いごとをされて、最初は乗り気じゃなくても、後々やってみて良かったことの繰り返し」の人生なので、今回も何か得るものはきっとあるはず。

ひとりっ子の息子くんや家族との時間を一番大事にしないといけない日なので、ほどほどにしながら楽しんでいこうと思います。

おしまい。

指導の話

2022.06.29

指導の話。

土曜日夜、日曜日。

お仕事外の私。

土曜日夜。

トウドウさんの素敵なウェビナー終了後、急いで地元堀江で行われている同窓会実行委員会の打ち合わせへ。

みんな今年で46歳になる年。

学校の先生。
会社の幹部。
中間管理職。
中学校の部活のコーチ。

そして私と、たまたまなのか皆さん何かの指導を行う立場。

同窓会の話はそこそこに指導やら教育についてのお話多めで。

昔の部活の指導は厳しかった。
時には暴力もあった。
何の理論もない指導者だらけだった。
勝ちさえすればそれでいいという教育だった。

そういう時代に違和感を感じながらも、それが当たり前であり、そこから逃げるのは根性がないやつという風潮の中でやってきた私達。

30年ほどの時を経て、今度は指導する側に。

何のための指導か。
そこに暴力は必要なのか。

考えてみたら、私達、小学生や中学生にして、理屈がない指導、暴力を伴う指導へのおかしさは感じてたんですね。

「本当にそこに愛情はあったのか?」

そんなこともお話する、渋い打ち合わせでした(本題はさておき)。

そして、日曜日。

昔所属していたフットサルチームの後輩くんが、障がい児フットサルスクールを運営していて、そちらのWebサイトを制作せさていただくことになったので、活動の見学を兼ねて、うちの息子くんも連れて参加。

代表を務める後輩くんが1人で練習メニューを考えて仕切って。

フットサルを通じて「楽しい」を伝えるための活動。

当然、怒る等のネガティブな指導はなく。

我が子含めて10人ぐらいのキッズが参加してましたが、みんなに気を配り、声かけて。

時に激しくボールを奪い合ってしまう子がいたら、全力で止めに行き、なだめて。

「1人がみんなを見るのは大変」という課題を解決する方法がないのかな?とか勝手に思って。

例えば後輩のフットサルやってる子たちにアルバイト料を払って声かけるとかもあるかもですが、ひとりひとりに気を配り、いかに楽しいを提供できるかって、簡単な気持ちでできることではないと思い。

ただただ、子どもたちの楽しそうにフットサルをする姿と、子どもたちの小競り合いを全力で止めに行く代表の姿が印象的でした。

そんな感じでお休みの時もそんなことを考えさせられました。

予期せぬところから考えさせられることがたくさんある。

心新た

2022.06.22

人から褒められることがほぼない我が人生ですが、ブログだけは一部ご好評でした。

が。

しかし。

サイトをリニューアルするとか、しないとかしてる間に全てがゼロになってしまいました。

人生ずっとこんな感じです。

一歩進んで五歩ぐらい戻るの繰り返しのような気がします。

画像の可愛すぎるベイビーは赤子時代の私です。

隣にいるおちょけた娘は4つ離れた姉です。

私の人格に最も影響を与えてくださった方だと思います。

人はそれを反面教師といいます。

デザイナーに必要とされる気づきの力、僅かな差異を読み取る力。

全て物心つく前に姉の虎の穴ばりのスパルタ教育により身に付けられた気がします。

ありがとう、姉。

フォーエバー、姉。

ということで、武尊ばりに顔面殴られても殴られても笑顔で前に向かっていく私。

人生ずっと負けっぱなしな気もしますが、負け組だから見える世界もあるはず。

世のため、人のため〜

  • archives

[ about ]

画像:ブログの著者:坂元剛

このブログについて

代表の脳内を大公開。思ったことを思ったまんまに書き殴るタイプのブログです。子どもの頃から基本的にフザケてたら、社長になってたり、40越えてたり、パパになってたりしてた人間の駄文です。

ページのトップに戻る