Blog代表のブログ

松坂桃李主演でハロヲタの映画が上映されるらしく、普段ほっとんど映画は見ない私ですが、とりあえずあの頃の僕たち(元たぶんハロオタ)を確かめに行ってみようかと思っている今日この頃皆様いかがお過ごしでしょうか?

私、格闘技(といいますか、PRIDE→DREAM→RIZIN)が大好きなことをご存知な方はご存知なのですが、大晦日に私が崇拝する朝倉未来選手と戦った弥益・ドミネーター・聡志選手に、あつかましくも自分と重なるところがあるなと思ったので、そのお話をば。

「自分が格闘技をやることは決して美談にはならないと思っていて、自分の格闘技は正直余計なもの。やらなくていいもので、家族とか会社の人に何らかの不利益がいってしまうような事だと思っている。」

「ただ、それを理解していながらも、どうしても格闘技をやらないとやっていけない自分も同時に見つけてしまった…(略)」

これはドミネーター選手の言葉です。

ドミネーター選手は筑波の大学院卒で一流の食品会社に務めるエリート会社員。

お仕事後やお休みの日に練習をする形で、日本のトップクラスのファイターであるという凄い選手です。

同じような環境で必死のパッチでスポーツをしている方はたくさんいると思います。

私も起業するまでは、たぶんそんな一人だったんだと思います。

私はフットサルを一応自分なりに必死にやっていましたが、フットサルでご飯を食べれるだけの選手ではないので、当然普通にお仕事してました。

お仕事をして、いただいたお金は部費に消え、遠征費に消え、ジムの会費に消え、フットサルの道具代やスクール代に消え。

時間もお金も費やし、時には仕事を調整しながらやっていたので、

「これで成績を出せなかったら、ただの自己満足にしかならない」

という思いで、自分で自分の背中を押しながらやってました。

普段生きるということはいろんなアホらしいことに付き合わないといけなかったりして、なんとなく過ごしているだけだったと思うのですが、フットサルをしている時は自分が時間と脳みそ使って試行錯誤したことがどれだけ通用するかめちゃくちゃワクワクしてました。

成長することが楽しくてフットサルをしていたし、練習するのが楽しくてフットサルをしていました。

少しでもうまくなって、「一所懸命頑張ってるから凄い」という評価を、実力の評価に変えてやろうとも思ってました。

「余計なもの」

「やらなくてもいいもの」

をやっているので、必死のバッチでやらないと本当にかっこ悪いと思ってやってました。

そして、何のアテもなく起業することになり、そういう時間の使い方はできなくなるし、してはいけないと思い、そういうフットサルとの接し方からリタイアしました。

そんな感じで必死のパッチでフットサルをしてる人らを味方にも対戦相手の方々にもたくさん知っているわけです。

マイナーなフットサルという競技でもそれだけいるのですから、日本中に仕事と競技の両立の中で必死に生きてる選手がたくさんいるんだと思います。

普段会社員をしながら、大晦日の大舞台に上ったドミネーター選手の姿に勇気や希望をもらった人は私以外にもたくさんいたのではないでしょうか。

ちなみに私にとって「余計なもの」であり、「やらなくていいもの」だと思っていた、フットサルが私を生かしてくれて、私に生きていくチャンスを与えてくれました。

毎日自主トレーニングするために、フットサルのキーパー(私はキーパー)の動きを分析し、思考し、練習メニューを考えたり、うまくいったときいかなかったときの原因を考えたり、試合中にいかに冷静にいられるか、自分の感情をコントロールできるかを考えられたり、今のデザインスクールというお仕事や会社運営の源泉になっています。

社会人として余計だと思っていたものが今、自分の宝物になっています。

誰が見ているのかあまりよくわかってませんが、今これを見てくださっている20代や30代前半の方がいたら、仕事以外のこと、余計なことも必死のパッチでやってみて欲しいって思っています。

それがある年齢を超えて、自分の時間が自分だけの時間でなくなったとき、仕事で勝負しないといけない時の、その人の特長や強み、武器になることは多いんじゃないかなって思います。

それ以外にも、精神力、体力、コミュニケーション力、いろんな力になるはず。

いつか自分のためだけに時間やお金を使えない時が来ます。

今しかできなことをやれたら、それは 何よりも財産ですね。

またまた緊急事態宣言が発令るとのことで、私が思うことをば。

[国やら都道府県やら]

私みたいなそのへんのおっさんよりかはるかに賢く、はるかに知識豊富で、はるかに適した選択肢を取れる方々の集合体であるはず。

飲食店に20時までの営業要請や、補助金の方法にしても、それが最適解とは思えない。

とっても日本人らしい、周りの意見を意識しまくりで、結果意味不明な方策が取られているっぽい感が全開です。

ウイルスが冬に感染率が高まるのは誰でも予測できるわけですし、それに対して準備がなさすぎる。

医療体制の整備、感染予防への法規制、全く何もしてなかった。

病床数が足りないのではなく、コロナ感染患者を受け入れる病床数が足りない。

逆にコロナ感染患者を受け付けていない病院は患者が来なさすぎて、逆の意味で医療崩壊という。

なぜなんだろう…。

[大人数での会食な方々]

完全な私見として言いますよ。

これはもう無知と無関心だと思います。

感染症への知識、今回のコロナウイルスへの見識、自分で調べた人って、ほっとんどいないと思います。
調べなくても誰かに聞くとかでもいいかと思います。

テレビを見ない、ニュースを見ない。

だから、社会で今何が起こっているか知らないし、興味がない。

それが許される世の中。

社会人ということは、社会を構成する一員。

社会の状況を把握する収集する義務がある。

「どっかの誰かが勝手にやってくれること」

という意識の人が圧倒的に多いということでしょう。

でも、これが自由な国である証明でもあります。

人に細分なく自由を与える限界なのだろうと思います。

[飲食店の方々]

ちゃらんぽらんなお役所、ちゃらんぽらんな国民の犠牲になり、本当に大変だと思います。

でも、私も一応経営者なので、春先の時点でコロナを気にしなくてもいい社会に戻るまで最悪数年かかるかもしれないというシミュレーションはしてました。

感染症やウイルスのことを調べ、他国の国策と結果等を情報収集し、過去の感染症の歴史を調べてみたリ、大衆心理から分析して、今のような状況になったときに、どういうプランを実行するか?を考えてなかったのかな、と思います。

たまたま、私が影響を受けにくいビジネス、逆に新たな価値が生まれたビジネスだったから、のんきに発言できるのかもしれませんが、私は最悪の状況と、いつまでビジネスを継続するかのプランニングはしてました。
自分のお仕事はそういうお仕事も含めてのお仕事だと思っています。

[現代社会の弱点]

「マスクなしの会話」
「換気が悪い場所での空気感染」

が今回のコロナウイルスの大きな感染源だということは1年も経ったので把握され始めています。

これが現代の社会と非常に相性が悪い。

都市集約型社会。

都市は合理的です。

仕事、生活、同じ場所に人が多く集まれば集まるほど、移動や時間にかかるコストが削減されます。

これが都市の理屈だと思います。

人間がつくるものは非常に合理的になります。

密集は合理的なんです。

余白がないわけですから。

その余白のなさとの相性が非常に悪いのが、今回のウイルスですね。

特に第三次産業主導の現在 = 仕事はコミュニケーションから生まれる

という時代なので、コミュニケーションが媒介になってしまうウイルスは相性最悪です。

そういう都市的な仕事や生活に抱えるストレスを発散するために人間が求めるものは、飲食を伴うコミュニケーションだったりします。

今の社会は、昔とは違い、社会という塊が大人数で構成されています。

私の知人が何百人いるか知りませんが、その知人の知人はほとんど知らないと思います。

昔の社会ではそんなことありえなかったでしょう。

インターネットの図じゃないですが、どこかで知らない誰かとつながっている、それが現代社会なのでしょう。

[まとめ]

そんな感じで幼き頃から、社会に理不尽さを感じ、そんな社会でいい子ちゃんにできない自分は生きる価値なしのカスという自覚のもと生存してきましたが、起業してもうすぐ丸9年、一応私にも社会的な役割や他の人にはできないことがあるみたいで、どうにかこうにか生かさせてもらっています。

私がずっと嫌いだった社会は変わることなく、相変わらず自分がよければそれでいいの重なりで構成されています。

前回の緊急事態宣言時はスクールも登校する方もかなり減っていましたが、今回は皆さんもきちんとした知識の中、受講してくださっているのだと思います。

スクールも除菌と換気、加湿の徹底と生徒の入学制限という形で対応させていただいており、信用していただいているのかと自負しております。

そんな感じで、ある事象というフィルタを通すと物事の見え方がよりクリアになったり、いろんな見え方をするなーというお話でした。

お粗末。

新年あけましておめでとうございます。

起業前から関西フットサル界で隠れブロガーとして名を馳せておりましたが(てへ)、「これからはYouTube!!」と始めたYouTubeチャンネルで全くアクセス数もチャンネル登録数も伸びない中、「やはり私は文章の人」と実感させられる日々でありやす(ももか)。

そんな感じでいつも布団に入るや否や即寝落ちしてしまう野比のび太指数が相当高い私ですが、そんなのびちゃんな我に抗うべくスマホをイジイジするわけですが、電子書籍で読書をしたりもします。

正しくは、購入したことを2ヶ月ぐらい忘れていたホモ・デウス(下)を読んでいたのですが、「自然界で成長を求められるのは人間だけ」「自然界における成長は、食物連鎖の秩序の破壊につながる」というようなことを書いてて、「そうか!生き物はそもそも成長したいという本能がないのか!むにゃむにゃ…。」と寝てしまったわけです。

今年2月で丸9年を迎える我が社、そして4月で丸9年を迎える我がスクール。

会社として抱えてきたテーマの大きな部分は「スタッフのメンタリティ」、スクールとしてのテーマは「生徒の方のメンタリティ」だったりします。

幼少期から親や大人からカス扱いされてきた私ですが、一応「もっともっといろんなことができるようになりたい」という気持ちは持ってます。

でも、「成長したいという欲求」には個人差があって当たり前で、本来生物は成長を求めないということを考えると、成長を求められる社会はかなり生きにくいんだろうとは思います。

私は成長したいと思っているので、会社に関しては「成長したいという思いが自分と一緒ぐらいある方」か「大きな成長を求めなくてもいい私のサポート的な業務を担当する方」を今後は雇用していく。

それと引き換えに会社の規模拡大は放棄します。

自分の成長が会社の成長。

ノンストレス。

スクールでは、スクールの授業をベースに自分自身でどんどん負荷をかけて成長していく方がたくさんいて、心強いです。

本当に将来楽しみです。

将来のこの業界を背負っていける方々がすでに腕を磨いています。

そして、社会に対する戸惑いの中でスクールに入学し、学びながらも戸惑いから脱せない方もいます。

私は「仕事に関わらず、目の前のことを全力でやっていたら、絶対に見ている景色が変わり、周りが自分を見る目も変わる」と思っていますし、そういうことをお伝えしています。

コケてもコケても何度も何度も考えてデザインしたり、コーディングしたりできる方々は成長します。

そのためのノウハウを私は持っていますし、お伝えできます。

皆さんの努力(労力×時間×思考×試行錯誤)がないと、完成しないノウハウですが。

でも、全てをその型にハメるのもおかしいし、多くの人はそういう型は求めておらず、仕事というものの中で自分の時間を費やし、報酬をもらい、それなりに暮らせればいいって思っているだろうとは思っています。

それが本来の人間の姿なのかもしれません。

しかし、そこに何かの足りなさを感じるけど、それが何か見つからず、探している行中でうちのスクールと出会った方もいます。

そういう方にどういうアプローチができるか。

自分がやりたいこと。

自分がやれること。

自分が楽しいこと。

他人が自分に求めること。

他人に喜びを与えれること。

それらの中から、自分の生業、生きていく方法論を見つけるしかないと思ってます。

私自身、全く無計画に起業して「そもそも仕事って何なんだろう?」と考えさせられ、「自分の目の前の人を喜ばせること」と定義しました。

今、自分が仕事に関して何かを選択する時の基準はそこだけです。

ただ、都合よく利用されないようにということだけは考えてますが。

それをしてしまうと、仕事ではなくて慈善事業になってしまうので、そのジャッジも私のお仕事です。

会社というものは自分ひとりだけでは絶対に成り立ちません。

多くのお客様、多くのスタッフがいて初めて成り立ちます。

自分の保全だけを考えていてはいけない立場だったリします。

クライアントが大手であろうが何であろうが、嘘、不義理は許せないし、ビジネスパートナーに値しないと考えています。

さて。

とりあえず、成長を求められる社会、労働・納税の義務がある社会、人的労働力が淘汰される社会、コロナウイルスで不安定な社会の中で生きていかないといけません。

そことどう折り合いをつけていくかが、リタイア世代じゃなければ、全ての大人に求められるものなのではないでしょうか。

私は会社やスクールの長と並行して、一人の人間の父親というとってもヘビーな役割も任せられています。

めったに息子くんに怒らない(こどもはほっときゃ勝手に成長するようにプログラミングされているのに、親が浅はかな思い込みで邪魔することは一番ダメという考え)ことでおなじみの私。

もうすぐ5歳になる、喜怒哀楽も激しくなってきた息子くん。

意味もなくいちいち怒ります。

反抗期なのかもしれませんが、
「怒ってたら神様がどんどん逃げていくよ。いつも笑ってたら神様がいっぱい集まってくるよ。」
と話してます。

「パパ、うるさい」と怒られますが、これは私が起業を通じて学んだことです。

お金では買えない財産をたくさん築いてこれたと思ってます。

そんな感じで支離滅裂ですが、今年も日々勉強、楽しんで生きていきまーす。

先日「転職セミナー」を行いました。

調べても調べててもよくわからんデザイン業界について、スライドをベースに詳しくお話させていただきました。
(動画で視聴したい方は私まで〜)

2時間お話をするにあたり、一番言いたいことがもしかして薄れてたり言えてなかったりするのかなと思ったので、こちらに。

就職活動、転職活動って競争ですよね。

複数いる人の中から一人を選ぶ。

競争=戦いです。

戦うには計画が必要です。

戦略です。

戦略を練らないといけないです。

戦略=自分のできることの足し算

で組み立てないといけません。

自分ができないことで戦略を立てる人はアホウです。

そして、就職活動の決定権を持つのは自分でしょうか?

採用側の企業です。

応募者には採用・不採用を決める権限は0%です。

ということは

自分のできることの足し算 > 採用側が求める能力・人材

の図式を成立させねばなりません。

逆に言えば、その図式を成立させれば、絶対に勝てる戦いです。

今の自分の足し算で「採用側が求める能力・人材」を上回れるか?

上回っていたら努力などしなくていいのです。

ささっとポートフォリオを作成して、早いこと次のステージに進んでしまいましょう。

時間は有限です。

上回れていないとしたら。

「どことどこが足りないのか?」

「どうすればそれを克服(または順応)できるか?」

自分のどこが「採用側が求める能力・人材」を満たしているか?(=自分のストロング・ポイント)

そういう自己分析とデザイン業界の分析という作業が絶対に必要になります。

物事には自分でどうにかなることと、自分の力ではどうにもならないことがあります。

自分の力でどうにかなることは全力でやれる人。

女神はそういう人に振り向きます。

そういう人は見たらわかります。

ポートフォリオを見ても、面接の立ち居振る舞いを見ても。

自分がやったことがある程度正当に評価されること。

実が人生においてめったにあることではないと思います。

人はいろんな錯覚や常識、社会や他人の評価の中でしか生きていないように私には見えています。

自分の人生は自分で切り拓いていく。

そういう人に女神は振り向くはずです。

私はそういう人の力になるために、このお仕事をしています。

絶望

2020.10.21

息子セイバー

こんにちわ。

坂元瑠輝也です。

おかげさまで朝から夜までお仕事をする日々を過ごさせていただいております。

新入社員さんから鉄人という衣笠みたいな称号をいただきました。

労働時間や労働日数と疲労度の比率を出すと、たぶん私の脳みそ的には疲労度はかなり低いのでは?と思ってます。

仕事が私をずっと待っているということは、たくさんの人に必要とされていることなので、光栄なことでしかなく。

強がりとかではなく、そう思える理由があります。

起業後、たぶん2〜3ヶ月ぐらい経った頃だったと思うのですが、

「今日、事務所に行っても何もすることないから、行く意味ないな」

「自分って社会から全く必要とされていないんだな」

と思い、珍しく何時間かボーッとしてました。

無気力。

かつ無力。

夜とか寂しくって誰かと話をしたくなることはたまにあったりしますが、この手の寂しさを感じたことは未だかつてこの時しかないです。

運がよかったのか、その後お仕事は軌道に乗っていったのですが、人に必要とされてないこと、自分がいなくても社会は成り立っている現実と向き合うのは本当に寂しかったのです。

全く鉄人などではなく、栄養ドリンクの力やゴールドフィンガー整体師さんの力を借りまくりです。

その経験で楽しく日々過ごせるなら、あれはとっても貴重な経験だったんでしょう。

おしまい。

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画像:ブログの著者:坂元剛

このブログについて

代表の脳内を大公開。思ったことを思ったまんまに書き殴るタイプのブログです。子どもの頃から基本的にフザケてたら、社長になってたり、40越えてたり、パパになってたりしてた人間の駄文です。

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